空海の生涯

空海の晩年 ── 庶民学校・灌漑工事・そして入定

晩年の空海は思想家であると同時に、社会インフラを動かす実務家でもあった。日本初の庶民学校を開き、讃岐の溜池を完成させ、62歳で『死なずに眠っている』とされる入定に入る。

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思想家、だけでは終わらなかった

空海の晩年は、思想書を書き溜めるだけの隠居人生ではない。 むしろ、世俗の社会で具体的に動いた時期 だ。

50代前半までに、空海はざっと次のことを並行している。

これだけのことを、当時の高速通信もない世界で、しかも修行と並行してやっている。 思想と実務を両輪で回せる人 だった。

満濃池 ── エンジニアとしての空海

821年、空海は朝廷から 満濃池(まんのういけ) の修築を命じられる。

満濃池は、空海の故郷讃岐の溜池で、灌漑のための巨大な人造池だった。 当時、決壊と修復を繰り返しており、朝廷が派遣した役人だけでは工事が進まない。 そこで「故郷の人望もあり、技術と人を動かす力もある空海なら」と白羽の矢が立つ。

空海は現場に入り、わずか3ヶ月で修築を完成させたと伝えられる。 この工事の特徴は、

つまり空海は、信仰と技術と組織運営を一つの場でつなぐことができた 人だった。 讃岐の満濃池は、修築のたびに姿を変えつつも現在まで残っており、 今も讃岐平野の農業を支えている。

詳しくは → 仏教者にして土木技術者 ── 満濃池の空海

綜芸種智院 ── 日本初の「庶民の大学」

828年、空海は京都の東寺の近くに 綜芸種智院(しゅげいしゅちいん) という学校を開く。 これが、日本で記録されている最古の「身分を問わない総合教育機関」 だ。

当時の大学寮は貴族の子弟しか入れなかった。 空海が作ったこの学校は、

という、現代の感覚でも驚くほどリベラルな設計だった。

「綜芸」=もろもろの学芸を綜合する 「種智」=仏のあらゆる智慧

という名前に、空海の教育観が凝縮されている。 人間は、特定の専門だけでは仏に近づけない。あらゆる学を綜合してこそ全人格に届く。

残念ながら綜芸種智院は、空海の死後10年程度で運営が立ち行かなくなり閉鎖される。 だが、「庶民にも教育を」という構想を1200年前に実装した 事実は、 現代の教育思想にとって極めて重要な先例だ。

思想の集大成 ── 『十住心論』『秘蔵宝鑰』

830年ごろ、空海は淳和天皇からの依頼で 『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』 を著す。 内容は、人間の心のあり方を10段階に分類し、仏教諸宗・他宗教を心の発達段階として配置する という、超野心的な体系書だ。

ざっくり10段階を並べると、

  1. 異生羝羊心(いしょうていようしん) ── 本能のままに生きる段階
  2. 愚童持斎心(ぐどうじさいしん) ── 倫理に目覚める段階(儒教的)
  3. 嬰童無畏心(ようどうむいしん) ── 宗教的安心を求める段階(道教的)
  4. 唯蘊無我心 ── 小乗の声聞段階
  5. 抜業因種心 ── 縁覚の段階
  6. 他縁大乗心 ── 法相宗
  7. 覚心不生心 ── 三論宗
  8. 一道無為心 ── 天台宗
  9. 極無自性心 ── 華厳宗
  10. 秘密荘厳心 ── 真言密教

これを後に圧縮した普及版が 『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』 だ。 空海の凄みは、ここで他宗を 下に置く のではなく、心の発達の段階として位置づけた ところにある。

真言密教が最高だが、他の宗教も間違いではなく、心のある段階を表している。

これは現代風にいえば、「すべての思想は、人間の心の発達のグラデーションの上に並ぶ」 という主張だ。 1200年前にこれを書いた人がいたという事実は、もう少し有名になっていい。

詳しくは → 十住心論 ── 1200年前のメタ思想マップ

入定(にゅうじょう) ── 「死なずに眠っている」

835年3月21日、空海高野山奥之院 で息を引き取る。62歳。

しかし、真言宗の伝統では、これを「死」とは呼ばない。 入定(にゅうじょう) ── つまり「永遠の禅定に入った」と表現する。

伝説では、空海は死期を予告し、

私はこれから禅定に入り、56億7千万年後の弥勒菩薩の出現まで眠り続ける。 衆生を見守り続ける。

と告げて坐ったまま息を引き取った、と伝えられる。

これは医学的にどう解釈するかとは別に、 弘法大師は死んでいない、奥之院でいまも生きている」 という信仰として、その後の日本の庶民信仰を支え続ける。

奥之院の 御廟(ごびょう) には現在も毎日2回、空海への食事 ── 生身供(しょうじんぐ) が運ばれている。 1200年間、一日も欠かしたことがないと言われる。 これは伝統行事として続いているだけでなく、 空海は1200年前に死んだ歴史上の人物ではなく、いまそこにいる存在」 という日本人の感覚を象徴している。

空海が残したもの、まとめ

ここまでで、空海の生涯をひととおり辿った。 彼が残したものを並べると、こうなる。

一人の人間がこれだけのことを残せた理由は、おそらく、 「思想・身体・社会・芸術」 を別物として扱わなかった ことに尽きる。 これは密教三密思想 ── 身・口・意を切り離さない ── そのものでもある。

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